順訪「中山道」

第1回日本橋から板橋宿まで

中山道(なかせんどう)は中仙道とも書きますが、江戸自体に整備された五街道のひとつで、東京から軽井沢を経て京都に至る街道です。
現在では軽井沢までのルートを当時の中山道のまま辿ることはまずないでしょう。そこで本連載は現在の交通や地域の状況と対比しながら当時の中山道を辿って参ります。

中山道出発点「日本橋」

民謡でも「お江戸日本橋七つ立ち」とあるように東海道と中山道の出発地点は日本橋です。ちなみに七つというのはおよそ午前4時でやたら早い出発時間でした。
日本橋はその名の通り当時から橋が架かっており、すぐそばには三越があります。三越は当時は越後屋呉服店として商いを行っていました。
ちなみに箱根駅伝の出発とゴールは戦前は有楽町、戦後は読売新聞本社のある大手町に移っており、日本橋に設けられたことはありません。

さて、ここから中山道で旅を始めると、当時はどんなルートだったでしょうか。現在ですと電車に乗ったら東京から上野を通って赤羽に向かうことになります。
一方中山道のルートは現在の昭和通りではなく、神田明神から本郷三丁目を抜けて東大キャンパスの一帯を通ります。

東大農学部の正門前で左に曲がり進みます。このルートは国道17号となっています。左に曲がらずにまっすぐ進むのは日光御成道と呼ばれ徳川将軍が日光参詣で用いた街道となります。この御成道と中山道が分かれる場所を現在では無くなってしまいましたが、「駒込追分町」と呼んでいました。この駒込追分町に現存はしていませんが中山道で最初の一里塚がありました。現在でも一里塚跡として史跡となっています。
ご存じの通りしなの鉄道の信濃追分駅は中山道と北国街道の分岐点であったことにちなんでおります。追分という地名はここかしこにあることがよくわかります。

そのまま国道17号を巣鴨駅まで進むと、その先に旧中山道は小径として国道17号から分岐します。そして、この小径は巣鴨商店街としてたくさんの商店が店を構えています。北側一帯は「染井」という地名で、サクラのソメイヨシノの由来となった地域です。今は様変わりしてしまいましたが、江戸時代は多くの植木屋さんがいたのです。都電荒川線の庚申塚駅で踏切を渡り、片側1車線の道をさらに進むと板橋に入ったところで国道17号と合流します。都立北園高校がある辺りです。

板橋は中山道の第一宿です。Googleマップで日本橋から板橋までの距離を計測してみましたが、約10キロでした。そうなりますと日本橋を出発して最初の泊まりが板橋宿というのは考えにくいことになります。ただし、必ずしも日本橋は出発地とは限りませんし、板橋宿は大いに賑わったという記録が残っています。その辺の話は次回に致しましょう。

それでは今回実際辿ったルートを紹介します。

私用でアップルストア丸の内に用事があったので、まずはそこから日本橋に向かって歩きます。ビル建築の現場が二つや三つどころではないのに驚かされます。実際にはJR日本橋口や東京メトロ大手町駅、日本橋駅の方が至近となります。

実は橋としての「日本橋」を訪れるのは初めてでした。

平日の昼下がりでしたが、日本橋の写真を撮っている人が数人いらして、わざわざ訪れたのかはわかりませんが、史跡として歴史の重みを感じさせるのではないでしょうか。石碑も設置されており、観光案内所もあったりします。

ここから歩いても良いのですが、近くにバス停があるので都営バスに乗って東京駅丸の内口に向かいます。行きは歩いてきたのもあるので、乗ることにしました。なお、都営バスは500円の一日乗車券があるので3回乗るならおトクになります。

東京駅丸の内口からは「荒川土手」行きのバスに乗ります。本来の中山道は神田明神を抜けていきますが、バスは西側を北上し、駿河台から御茶ノ水駅を抜け、順天堂大学の脇を通り抜けていきます。東大赤門を右手に見ながらしばらくすると「東大農学部前」のバス停で下車します。

ちょうど、中山道と日光御成道が分かれる交差点となります。追分にかつては一里塚があり、その跡として立札が設置されています。

ここからしばらくかつての中山道を歩きます。

巣鴨まで3キロ、高崎まで103キロの標識がありました。

このまま巣鴨まであるのはちょっと時間が無いので、「白山下」のバス停でバスに乗ります。

巣鴨駅で下車してかの有名な商店街を歩きます。この通りは実は中山道なのです。

ここまで来て14時前になり、お腹が空いてきました。白山界隈はラーメンの激戦地なのですが、今回はガマンしてこの巣鴨商店街に参りました。そこで狙うは…

「ザ・定食屋」として界隈では有名な「ときわ食堂」さんで腹ごしらえします。お客さんたくさんいらっしゃいました。定食屋に来た以上は「鯖の味噌煮定食」で決まりですね!

ビールも大瓶で提供されていたり、おつまみメニューもあったりで、🍺🍶のほうでも楽しめますが、今回は後ほど車で帰るのでガマンとなりました💦

とても美味しゅうございました。

ときわ食堂から近い「巣鴨四丁目」バス停からバスに乗って西巣鴨駅そばの「掘割」バス停で降ります。ここから再び中山道を歩きます。

滝野川銀座ということで、旧中山道を銘打って商店街がありました。かなり渋い感じの商店街でなかなか面白そうなエリアでした。このまま板橋駅に向かって歩いて行くと「平尾一里塚跡」と呼ばれる一里塚があったところに差し掛かるのですが、現在では跡形もなくなっています。

ただし、道路の角に石が置かれているので、これがもしかしたら…と思いましたが確かめる術がありませんでした。

今回は板橋駅までご紹介します。次回は板橋宿に向かいます!

参考書籍 「中山道を歩く」児玉幸多著 中央公論社

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